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日々の幸せなことしかまとめない。

不眠の話

こちらは小話でフィクション。
ただ、自分の実体験がたくさんはいってる。
こんな風に思っている不眠の人がいるかもしれないし、いないのかもしれない。
少なくとも私には結構辛い症状。


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 眠れない、と思うことは毎日のことだった。
 絶え間なくあくびをしていたのに、夜に横たわった布団の上では目が冴えてしまう。
 渇望する睡眠には出会うことすらできない。私は不眠症だ。

 いつからこの症状に悩まされているのだろうか。
 そしてこの症状はいつ回復するのだろうか。

 酒を一定量飲むと眠くなることから、毎日酒を飲むようにしてみたこともある。確かに寝入ることはできるのだが、動悸のせいで体が落ち着かず、悪夢をみる回数があまりに多かったのでやめてしまった。

 クラシックコンサートに誘われたら断るようにしているが、クラシック音楽を聴いていると眠くなるという理由だった。
 その応用でクラシック音楽のCDや配信音楽を流してみたこともある。飽き性な私はバイオリンの演奏の始めから交響曲の盛り上がりのピークまで聞いている集中力がなく、ダンスミュージックで首を降りながら歌う時間に切り替わって余計に夜更かしを助長した。

 その他様々な方法を試してみたりしたが、なかなか効果を認められるものがなく、ときには季節的な変化にも苦しみ不眠に悩まされている。

 大抵寝れない翌朝は、目覚まし時計と40分ほど乱闘を繰り返す。せっかく熟睡できそうだったのに、と悪態をつくのが明け方の5時頃の覚醒。その一時間後には目覚まし時計が私をおこしてくれるがタイミングが悪い。
 明け方に無意味に起きてしまうと、もう一時間後などの目覚ましは眠りかけの私の頭を音叉で殴打したような不快感だ。
 眠れそうなのに!熟睡できそうなのに!あと4時間後にしてくれないか!と、スヌーズボタンを押すことをくりかえしていく。

 寝れない日々が続いた昼頃は、日中に眠気が出るのことに最大の恐怖を抱いて、昼ご飯をほとんど食べない。カロリーメイトかゼリー飲料、もしくはコーヒーだけの場合もあった。
 それでも眠気が起こる場合はガムを噛みながらメンソレータムの気付け薬を吸う。そんな状態でも時おり意識が途切れる時がある。そんな状態は極限状態で、目の下の隈の濃さがいつにも増して目立つ。
 ただただ、仕事のうちでも、眠気が出るのが会議中でないことをもっとも願っている。


 寝れない日々が続くと、カフェインへの無制限の信頼が度を越えてくる。
 朝にコーヒーを飲まないと、覚醒しない脳みそで支離滅裂なことを言うため事態の回避にいつもコーヒーを飲んでいる。カフェインが効かないほどの眠気がでないことを祈りながら、昼頃までは飲み続ける。
 しかし夕方は医者にカフェインを禁止されている上に、自分も夜寝れなくなってしまうことがこわくてピタリと飲むのをやめる。そして朝にはまた無尽蔵にコーヒーを飲み、夜は休み、その繰り返し。
 効果があるのかどうかも疑わしく感じ始める。

 しかし、もともと毎日コーヒーや緑茶を常備している私は、休日カフェインを手放した瞬間に、どんな眠りが浅くとも10時間は眠っている。
 ただ眠りの質は良いとはいえず、悪夢で飛び起きることが何度もあるため、私は寝ること自体を『怖い』と思っている。

 眠って夢をみたとき、そちらの世界に連れていかれそうな程の現実的な感覚を、飛び起きては忘れようとするがこういう悪夢に限ってなかなか忘れることができない。


 この状態を含めての不眠症である。
 つらい、くるしい、という気持ちを越えて、ただもう眠気に恐怖を感じている。

 寝たところで熟睡はできないのだし、悪夢をみるか、起きるのが苦しい状態を味わうか、ただ人間として太陽の上る間は不意な眠気などに邪魔されず生きていたいのに、それができないという恐怖。
 他人からだらしがない人だと思われるリスクや、仕事への打ち込みへの支障を考えると、私はいますぐにでも強力な睡眠薬で無理矢理眠ってしまうべきではないかと思う。医者はてこでも出そうとはしないが、それは優しさなのか意地悪なのか測りかねる。


 そして、こんな夜中にこんな記録を書いている時点で皮肉が助長されて、笑いすら起こる。

 私は寝ている私が本来なのか、起きている私が本来なのか、悪夢や妄想の中の私は誰なのか、自己の認識すらも分からなくなるときもあるがそういう時は布団に気絶してしまうほど睡眠をとっていないときだ。
 そうやってしか、睡眠と付き合えない。恐怖を感じないほど疲れてしまえばいい。

 安心して眠る、とは、死以外になにがあるのだろうか。あって欲しいと思う。
 それに期待を持ち、ただただ今日も夜明けを待っている。